5年間を振り返る - 前編

西畑くんを担当と呼ぶようになってから丸5年が経った。 いつのまにか今までで1番長くファンをしている人になった。 ある程度大人になってからファンになったからこんなに続いているのか、沢山のお仕事をしていて飽きさせないからなのな、1番は西畑くんがステージに立ち続けてくれているから、だと思う。 せっかくなので(?)5年間を振り返ってみようと思う。

降りた時は2013年3月、西畑くんは16歳、高校生の終わりだった。関西ジュニアのメインメンバーの端っこにいつも彼は居て、お兄ちゃん達の中に紛れていて、でも自分のグループでは最年長だから少しは引っ張っていかなきゃな、って立場だったと思う。その頃の西畑くんはとにかく可愛くて女の子みたいで。キラキラの笑顔が眩しくてフレッシュで。 それまで自分より年上のアイドルしか応援してこなかった自分にはとても眩しい存在で只々可愛かった。ダンスもまだまだぎこちなくて、1公演1公演の成長を見るのが楽しかった。

2013年の春のまいジャニコンサートvol1と春松竹が終わって、京セラドームでジャニワ感謝祭があった。藤井流星くんとトロッコに乗ったり、SexyZoneのバックをしていた記憶(1公演しか入ってないからあまり記憶がない…)。京セラドームでも西畑くんは自分の団扇を見つけて対応してたなぁ

そして関西ジュニアの初全国ツアー。 今の私だったらどこまでも行ったかもしれないけど(笑)まだまだ降りたてで、そんなに行けなかった。 石川、名古屋、徳島、東京に参加した。 西畑くんのファンはまだまだ少なくて。 メンバーが客席を練り歩くコーナーでは西畑くんは自分の団扇を探して、ひとつひとつ対応していた。 MCはなかなか発言できなくて、話を振ってもらわないと声が聞けないくらいだった。 このツアーの時に新曲『浪速一等賞!』が発表されたけど、その選抜メンバーに西畑くんはいなかった。 浪速一等賞メンバー以外のメンバーで、『ブリュレ』を歌った。めちゃくちゃかっこよかったけど、めちゃくちゃ悔しかった。 同じ頃に収録された『ザ少年倶楽部』では西畑くんだけ名前のテロップが出ないことがあった。これは今や有名な話だけど当時も本当に悔しくて悔しくて同担の友達と嘆いた。 東京オーラスの次の日にあった少年倶楽部の収録は、Kin Kanは東京に残って出たけどなにわ皇子はいなくて。若いメンバーだから仕方ないかな、って思ったけど、同い年の小瀧や金内は出てるのにな、ってちょっと思ったけど、キャリアも違うしな、って自分を納得させた。

2013年夏、ANOTHERが開幕した。今でも1番好きな夏だったと思う。 廉に明らかな差をつけられた、のは今思うとここだけど、当時は西畑くんの演技を見るのが新鮮で楽しくて。スポットライトが当たってない時にも演技をしている西畑くんを双眼鏡で見ていた。演技をしてる西畑くんがもっと見たい!ってなった夏だった。 ある日背中を真っ赤にして出てきた日があって(前日皆んなで海に行ったらしい)、かわいかったなぁ。なにわ皇子がみんなかわいくてひとりひとりが大好きになった。

休演日に少年倶楽部in大阪の収録があったけど行けなかった。平野と廉がソロ曲を歌ったと聞いてびっくりした。

ANOTHERが終わってすぐにまいジャニコンサートvol.2があった。 vol.1の時はチケットが定価割れして勝利くんを呼ぶ状態だったのに、この半年で何があったのか、チケットは高騰、各メンバーのファンも相当増えていたと思う。半年前見た西畑くんから、格段に大人になっていて、10代の男の子のひと夏ってすごい!ってなった(感想がばばあ(笑))。 半年前はオーラスでステージで号泣していた西畑くんが、キリッとした表情になっていた。平野と廉だけソロ曲があった。悔しかったけど、まぁそうだよなぁ、って思ってた。

2013年秋、日生劇場でのANOTHER。なにわ皇子は出演しなかった。みんなまだ学生だから、廉と流星ちゃんは義務教育期間だし仕方ない、って思おうとしたけど、西畑くんと同じ学校で同級生の小瀧と金内は1ヶ月東京に行っていて。西畑くんがその1ヶ月、どんな気持ちで学校に通ってたんだろう、と思うと今でも胸が苦しくなる。

2013年冬の松竹座。この冬はユニットごとの公演で、初日と2日目と千秋楽の日は全員出演、という構成だった。 初日、西畑くんは帽子をかぶっていた、誰かが帽子を奪った、ら、西畑くんは何と坊主(!!!!!!)だった。仕事の都合、と言ってたけど詳しくは発表されず…、「西畑くんにソロ仕事!!!!」と、坊主は正直衝撃的だったけど(笑)、西畑担はお祭り状態だった。(まだ正式に発表されない内から、「朝ドラらしい」という噂が駆け巡った。) そしてなにキン公演。追加公演があって、1日3公演の日まであった。運良くチケットも取れていたので全部入れた。この時、もっと目に焼き付けておけばよかったなぁ、と今なら思う。先輩の康二くんや金内にまだまだ甘えてたかな。 初めてのソロコーナーがあって、二宮くんの『秘密』を歌ってくれた。当時、私含めかなりの西畑担が手紙で「『秘密』を歌ってほしい!」と本人に伝えていたと思うので、イントロが流れた瞬間鳥肌が立ったのを覚えている。二宮くんの沢山の曲の中から、『秘密』を歌ってくれてありがとう。 千秋楽、私は入らなかった。同担の友達から「西畑くんがいない」と連絡があった。西畑くんが別仕事で公演を欠席するのは初めてのことだった。 残念がったけど、内心、少しだけ、嬉しかった。

そして2013年末、ジャニーズカウントダウンコンサート。ジャニーズWEST4のデビューが発表された。 衝撃的すぎた。『4人』、ということもだけど、正直、この頃のなにキンは、冠番組もあってメインでコンサートもして、デビューするんじゃないかくらいの勢いがあったと思う。 今思い返すとそりゃ先輩たちの方が格段に人気も知名度も実力も上で。現実を突きつけられた。

2014年。「ごちそうさん」への出演が発表されたのは、確か年が明けた雪が降った日だったと思う。

そしてあけおめコンサート。今でも『お通夜コン』と比喩されるくらい、『4人』でのデビューが発表された直後のコンサートで、何を話せばいいのかわからない、そんなコンサートだった。実際『デビュー』という単語は一切出なかった。けど「ええじゃないか」は歌ってた。 MCでは「ごちそうさん」出演の話があって、役名の『活男』と坊主姿を終始いじられて半泣きな西畑くんがちょっと可哀想だったけど、誇らしくて、嬉しかった。 本編ラストの曲「REAL DX」をメインステの上手の端っこで踊っていたのがすごく目に焼き付いている。

ごちそうさん」出演開始。初めてひとりで雑誌に載ったりして、女性誌NHKの雑誌を初めて買った。そして本当に想像以上の出番と演技力で…何回泣かされたかな。そしてキャストの皆さんが本当に素晴らしい方々で、西畑くんの初めてのドラマが「ごちそうさん」で良かったと、心から思う。 ごちそうさんファンミーティングがNHK大阪ホールであって、必死に応募して当選して行くことができた。キャストのみなさんに本当に可愛がられてるのを感じた。(東出さんも菅田将暉くんももっとちゃんと見ておけばよかった!と今なら思う(笑)) そしてこれを機に西畑くんは『役者』として意識して、成長していくことになっていく。

2014年春の松竹座。 ジャニーズWESTが抜けて初めての松竹座。 とにかくおたくも本人たちも不安でいっぱいだったと思う(笑)幕が開けて、文龍が居たときどれだけ安堵したか…(笑)コントメインのコンサートで、西畑くんは坊主を生かした(笑)応援団団員の役だった。 コントのラスト、しょうれんだけが違う衣装で、西畑くんたちはみんなバックで白い衣装で、しょうれんが「brother」を歌った。この頃から『なにキン』が事実上無くなったと思う。受け入れるしかなかった。でも名前が無くなっただけで、6人が関西ジュニアのメインになってそれは凄いことで。 コント中に「忍ジャニ参上!」の予告が流れる場面あって。廉と流星ちゃんは出てたけど、西畑くんは出てなくて…。表向きは「ごちそうさん」があったから。ってことになってたけど。見るたび悔しかったなぁ。何で西畑くんだけ!って毎回思ってた。(金内も出てないんだけどその話は置いておく)

春松竹が終わってすぐSexyZoneの城ホのバック仕事があった。ふまけんに坊主姿をいじってもらっててかわいかった。

ここからパッタリ、西畑くんの現場が無くなる。(もちろん雑誌やまいジャニはあったけど、会いに行ける現場がなかった) しょうれんが東京で仕事するようになった時期かな。(SexyAgeだっけ?) 私もクリエとかEXシアターとか演舞場に行ってた(笑)今思い返すとクソDDでした(笑)

そんな日が続くある日、起きて携帯を見てあるメールを開いた。(だいぶ遅い起床だった記憶) 恒例の『SHOCK』の大阪博多公演のお知らせメール。 「あぁ今年もやるんだー」と下へスクロールしていって出演者の欄を見て、本当に、目を疑う、ってこのことを言うんだな、ってレベルで目を疑った。(笑) ふぉ〜ゆ〜の4人と、山本亮太、のあとに、『西畑大吾』と書かれれていて。 声も出なかったびっくりしすぎて。そっからはもうLINEもTwitterも大変なことになっててもうてんやわんや。 正直、当時歌もダンスも上手とは言えない西畑くんが何故SHOCKに!??だった正直。 ふぉ〜ゆ〜が好きな時期があったのでSHOCKも何回か観劇していたからこそ。あのSHOCKに!?って。どうなるんだろう、、、と不安と同時にワクワクが止まらなかった。

おたくみんながバックにつくだろうと思っていた確か8月の始めにあった神戸のSexyZoneのコンサートにはいなくて、辛かったなぁー。見学は来てたけど。 8月の松竹座はジャニーズWESTの舞台(台風nドリーマー)で、西畑くんは東京で稽古だから出れなくて。少年倶楽部in大阪も出れなくて。 約半年も西畑くんの現場がなかった。 しょうれんはドリボ、流星ちゃんと康二くんは松竹、(金内は、、、)で、なにきんがバラバラに仕事をし始めたのはこの頃かなぁ。

そして9月。Endless SHOCK梅田初日。 緊張と不安と期待の初日!! 幕が開けて、コウイチのすぐ後ろにダイゴいてもうそこで涙ぐんだ(笑)あのSHOCKのステージに西畑くんがいて。初めての台詞を噛んでしまって緊張が伝わりすぎた。 岸くんバージョンを見ていたので、もしかしたらあるかも、とは思っていたけど、ちゃんとメインでソロパートがある曲があって!!感動したなぁ。 ジャパネスクの殺陣はもちろんだけど、表情から読み取れるストーリーがある演技が凄くて。めちゃくちゃ引き込まれた。毎回毎回、大桜のシーンで号泣しているダイゴに毎回毎回もらい泣きした。ダンスも変なクセが抜けてすっごく上手になってて。Higherやソリタリーや夢幻を踊る西畑くんが見れるなんてこんなこと誰が想像したよ!?ってなった。想像以上、期待以上の『ダイゴ』だった。映像化していないのが悔やまれるすぎる。 初日後に体調を崩してオムツを履いてステージに立った、という後日談はあったけど。稽古含め3カ月、西畑くんは走り切った。初めての長期東京滞在、先輩ばかりの完成されたレベルの高いカンパニーに入ること、博多でのホテル生活。不安しかなかったと思う。 でもこの経験があったからこそ今の強い西畑くんがいると思うし、「無理して頑張れ」という座長の言葉が西畑くんの背中を押し続けていると思う。もう出ることはないのかな、と思うけど、いつかまた出て欲しい。

そして冬が来た。私の西畑担史上、1番楽しくて大好きな冬の松竹座だったと思う。みんなこのときの冬好きでしょ!?ねぇ!! 色違いのオリジナル衣装を着る6人が大好きだった!!今でもgiftが大好きで大切で思い出すと泣いちゃう。バルコ戦争も楽しかった(笑)

西畑くんと金内だけふたりで「ジパングおおきに大作戦」歌ってて、ほかはみんなソロがあって、なんでや!?ってなったけど楽しい記憶ばっかりだからか負の感情はない。(笑) そういえば何故かジェっさんが数日来航したけどあれは一体何だったんだろう… あとお手紙交換のコーナーがあって。だいれんの時は沸いたし泣いたし、金内に泣かされたし。特別で大切な冬になったなぁ。

やっと2014年を書き終えた…思ったよりめちゃくちゃ時間がかかったので(5000文字を超えてしまった)、一旦終わりにします! 続く!!(多分)